東京から石川県珠洲市に移住。 現在は奥様と2人のお子さんとともに珠洲で暮らす、北澤さんにお話を伺いました。

北澤さんは珠洲に移住する前は東京に住んでいたんですよね。
もともと東京育ちだったんですか?

いえ、出身は長野県千曲市です。高校卒業までは、ずっと長野に住んでいました。

小さい頃から虫が大好きで、学校に行かずに虫捕りに行ったりして…自然豊かな環境で育ちました。

大学は早稲田大学だったのでそれを機に東京に移りました。

そうなんですね。大学では何を専攻されたんですか?

政治学科だったので、主に政治関係のことを学んでましたね。

またそれとは別に、在学中からやってみようと思ったことで起業してはポシャり、みたいなことを繰り返していました(笑)。

父が昔からいろいろと商売をやっていて、場所を変えて知らない土地で人間関係もゼロから作って…というのを何度もやってきたのを見ていたので、なんとなく影響されていた節はありますね。小学生の頃から学校よりそちらが面白くて、学校に行かずに手伝ったりしていたので。

そんなことばかりやっていたからなのかわかりませんが、結局大学には5年間通ったんです。4年生の終わり、卒業式に当たり前のように出席したら自分だけ名前が呼ばれなくて、おかしいなと思ったら2単位足りてなかったんですよ。

そんなことってあります!?(笑)
それでどうしたんですか?

まあ仕方ないんで、5年目も通いましたよね。2単位のために(笑)。

ただ結構時間はあったので、友達が働く会社で1年間インターンさせてもらいました。

「イキゴト」という、すごく良い仕事をする会社でした。

それが1年間ですね。大学卒業後は企業に就職したんですか?

はい、紳士服のAOKIに就職しました。

在学中から起業を何度もしていましたし父もそうだったので、いずれは自分で何かやっていくんだろうな…とぼんやり思ってはいましたが、当時は明日食うメシのお金もないぐらいの状態だったので、これは起業している場合じゃない、と。

もともと服が好きでしたし、当時はコミュニケーションにとても苦手意識があって初対面の人とろくに話せなかったので、接客業でそれを克服しようと思ったんです。

入社してすぐは本当に大変で、一日の来店数もトップクラスの店舗でひたすら不特定多数のお客さんと話して、たまに路上に出て呼び込みをすることもあって。

コミュ障にとっては荒療治でしたが、恥を捨ててやっているうちに初対面の人ともどもらずに話せるようになっていきましたね。AOKIで働いて良かったです。

すごいですね!どのくらいそこで勤めましたか?

それも1年ほどです。学びきったとはとても言えないですが、コミュニケーションの苦手意識は克服できました。

次に入ったのはオンラインサロンのプラットホームの運営をしていた会社で、当時としては本当に最先端でした。今でこそオンラインサロンをやっている人はたくさんいますが、当時はまだ数人が始めていたぐらい。

「このサービスは伸びる!」と確信して、まだぜんぜんお金がなくてオフィスも社員もゼロだったその会社に入れてもらいました。

デザイン関係の業務や、採用というかヘッドハンティングみたいなことまで何でもやっていましたね。いいと思う人がいたらあの手この手で会社に連れてきたりとか(笑)。

3か月ほどは本当に無給でしたがなんとか生き延びて、あるとき堀江貴文氏からの発注があったところから一気に事業が伸びて。結局3年ほどそこで勤めましたね。

濃厚な3年間だったんですね!
そのあと、珠洲に移住したんですよね?

はい。その会社を退職後、次は何をしようかな~とフラフラしていました。

ちなみに、この段階で珠洲のことは一切知らなかったです(笑)。

その時期、お世話になった方々にお礼参りをしていて、石川県庁に勤める高校時代の同級生に会いに行ったんですよ。

僕は佐渡が好きなんですが、それを知っていた友人が「ここまで来たなら絶対に珠洲も行った方がいいよ。佐渡が好きなら、多分珠洲も合うよ」と言うので、その足で珠洲に行ってみました。

そうしたら「珠洲、いいな」ってなって。よくわからないと思うんですが、「佐渡と同じで珠洲には神様いるなぁ」と思ったんですよね。

その場で珠洲に移住することに決めて、当時まだ彼女だった奥さんに「石川の珠洲に住むから仕事辞めといて」と連絡しました。

神様ですか…私にはちょっとわかりませんが(笑)。
それで、そのまま珠洲に移住したんですね。

はい。でも移住して半年は、ちょうど芸術祭もあったのでそのボランティアみたいなことばかりやっていて、仕事はぜんぜんしていなかったんですよ。

幸い多少貯金もあったので、ハローワークに行って自分たちのペースでできる仕事を探そうかなぁと入籍した妻とも話していたんです。

なんですが、あるときたまたま隣に座った方が新聞記者で、移住してきたことを話したら「取材させてほしい」と言われて。

取材の中で自分も妻もデザイン畑の人間だという話をちらっとしたところ、「それなら夫婦2人で商売もできそうですね」と言われて、「あぁそうですね~」と軽くあいづちを打ったんですよね。

そうしたら、翌日出た新聞の記事の見出しが「北澤さん夫婦で珠洲に移住、そして起業」みたいな(笑)。それを見て、まだ起業していなかった自分たちのもとにデザイン関係の仕事の相談がぽつぽつと入ってきて、大急ぎで会社をつくりました(笑)。

なんというか、全体的に流れのままですよね(笑)。野心がないというか。

そうですね、そういう人間なんですよね。あんまり先のことを考えると病んじゃうので、とにかく目の前のことに集中するようにしています。そうしたら結果的にこういう人生になっている(笑)。

野心も、自分がどうなりたいというのはないですね。

ただ、自分が肚落ちできる仕事なのか?という点は必ず考えていますね。「この仕事が必要だ、大切だ」と本心から自分が思えるか。その仕事で食うメシは美味いのか。

社会の人々に対して、幸福を与えている度合いが今考えられる最大の状態にあるのか。

そこはずっと大切にしています。

なるほど、成り行きのままに見えてそんな軸があるわけですね。
今、日々の生活はどんな感じですか?

年子の子ども2人を育てながら、成り行きでつくった会社の仕事を毎日しています。

WEBページやコンテンツ、ポスターなんかをつくったり。「デザインファーム」と呼んでいますが、自分は「デザイン」を「問題解決を美しくすること」だと定義していて。だから単にクリエイティブをつくるだけでなく、一緒にビジョンを描き、課題を言語化し、ともに解決する、ということをやっています。

だから、もし自分たちにできる解決策が草刈りだったら草刈りでもやりますよ。会社の事業内容を明確に「これ」と決めてはいないです。たまたま需要が多くて自分にもできることがクリエイティブ関係の内容が多いので、今はそんな仕事が多いですが。

メンバーは自分と妻、そして社員1名ですね。珠洲だと家が広いので、オフィス兼自宅兼託児所みたいになってきています(笑)。

東京での暮らしとは違いますか?

自分は趣味が料理でよく自炊するんですが、調味料が充実していますね。

塩に醤油に味噌にいしるに…ちゃんと地元でつくったものが当たり前に手に入るのは良いですよね。珠洲で生活しているんだなぁと身体で感じられて。

それから、珠洲に来てから家族以外の人と話すことが増えました。

バスで隣に座った人、銭湯で会った人…当たり前のように会話が始まるので、最近はもう仕事モード、家モード、通勤モードの差がなくなってきました。ずーっと自分モードのままですね。

ON、OFFの区別なく生活できるのは、ある意味ストレスが少ないからでしょうか。
北澤さんは直観で珠洲への移住を決めて定住しているわけですが、「移住してみたけど合わなかった」という人もきっといますよね。何が違うと思いますか?

うーん、一概には言えないと思いますが…会社やコミュニティの人間関係で悩む人って、どこへ行ってもきっと同じですよね。

「環境を変えれば何とかなる」という思いが少しでもあると、厳しいんじゃないでしょうか。

例えば珠洲って、合理性だけで運用されている町ではないんですよ。停電も起こるし、大雪で動けない日もあるし。そんなとき、自分の人生で今目の前で起きていることをリアルに受け入れて対処ができるかどうか。それも込みで、ここに住もうと決めたのは自分だという自覚があるかどうかですよね。「自分の人生自分でつくる」という責任や自覚がある人でないと、どこへ行っても「思ったのと違った」ってなってしまうんじゃないかな。

確かにそうかもしれませんね。
これから珠洲でやっていきたいことなどはありますか?

そうですね、子どもたちの世代に投資をしていきたいとは思いますね。自分にも珠洲で子どもが2人生まれたので、それはかなり大きいです。

子どもたちや若い世代がイキイキ学んだり働くことができたら、町の自尊心を高めることにつながると思うし、それが国のためにもなると思っていて。

自分は日本人なので、やはり日本が好きなんです。だから自分なりの日本人マインドを見つけたいなと思っていて、その手段の一つとして若い世代を豊かに育てることかなと。

自分のことを振り返ると、高校時代にポジティブに学校をサボれる場がありました。例えば町の本屋や喫茶店なんかに行くと、学校では教えてもらえないようなことを教えてくれる本や人と出会ったり、話すことができた。そこで自分は、「人ベースでいろいろな価値観や生き方があるんだ」ということを体感を持って知ることができたんです。

特に珠洲のような小さな町では、相対的に「身近で見ることのできる生き方や価値観の例」は少なくなりがちです。だからこそ選択肢を広げられるような関わりができたらいいと思っています。

それは本当に大切なことですよね!人生において自分で選択をしてきた北澤さんにこそできることだと思います。

編集後記

北澤さんの働き方や考え方を一言でいうと、まさに現代版の百姓。

仕事内容は、主に自治体や地域のお店のHP作成やパンフレットなどの制作をされているのですが、他に困っていることがあれば、草刈りとか自分の専門分野問わず、やってしまう。

なので、どこからどこまでが自分の仕事なのかを切り分けていないし、単純に相手が困っていることをやってあげるというビジネスの基本を体現されていると感じました。

結婚も仕事も住む場所も、自分で「選択」できる時代だからこそ、先の未来を心配したり、誰かと比較して憂いたり、漠然とした不安を感じる場面が多い現代。

北澤さんは未来のことを一切考えないからこそ、目の前に全力投球でいられていて、そういう生き方も素敵だなと感じました。

林佳奈

株式会社こみんぐる代表取締役。 愛知県生まれで現在石川県金沢市在住。2009年に株式会社リクルートキャリア(旧リクルートエージェント)に入社。法人営業を3年経験のうちチームリーダーとしてマネジメントを経験。2016年に結婚を機に金沢に移住。移住と同時に起業し、「金沢の為になることをしよう」という想いから、夫婦で現在の”旅音”という宿事業をスタート。2021年現在、主に一棟貸しを中心とした宿泊施設を金沢市内に23棟運営している。