現在、石川県珠洲市在住。珠洲市役所の移住支援団体「すず里山里海移住フロント」事務局で働く、「珠洲で移住と言えばこの人」馬場千遥さん(通称馬場ちゃん)にお話を伺いました!
馬場ちゃんは、珠洲市役所では地域おこし協力隊としての仕事をしているんですよね?
そうです。私は金沢大学出身なんですが、新卒から働いたのはほぼすべて地域おこし協力隊の仕事なんですよ。
それも珍しい!経歴を教えてもらえますか?
まず新卒で就いたのは、長野県北部の木島平村というところの地域おこし協力隊でした。大学では地域創造学類(注:学部のようなもの)に在籍していたので、2年生の時に地域でのインターンシップをするカリキュラムがあったんです。そのときにたまたま行った先が木島平村でした。
最初から自分で希望した行先ではなかったんですが、行ってみたら人や環境のよさに魅了されて大好きになってしまって!2年生でのインターンシップが終わった後も、3年・4年と何度も再訪の機会を与えてもらって訪れ、そのうち誘われなくても勝手に行くようにもなり(笑)、そのたびに木島平村が好きになっていきました。
ちょうど就職活動のタイミングで木島平村では地域おこし協力隊を募集していて、声をかけてもらいそのまま就職しました。そのときの協力隊としてのミッションは、域学連携事業(大学との連携を通じた地域づくり)でした。
木島平村には地域おこし協力隊の任期3年間と、任期満了後も別のプロジェクトに関わって1年ほど働いたので、トータルで4年間ほどいましたね。今も大好きな場所です。
愛を感じますね!新卒で「地域おこし協力隊」として働くのはかなり珍しいパターンではないかと思いますが、迷ったりしなかったですか?
そうですね。学生時代に木島平村と関わる中で、「地域おこし協力隊」として働く人を間近で見ていたこともあって、「こういう働き方もあるんだ」と知っていたことが大きかったと思います。
最初は私も周りと同じように、公務員講座や合同企業説明会に行ってみたりもしていたんですよ。
ただそれでもあまりピンと来なくて。その頃の私は、民間企業や地元の大きな自治体での仕事が、誰のための何になる仕事なのかイメージできなかったんです。それなら、顔が思い浮かぶ、自分の大好きな地域の人たちのためになる仕事がしたいと思って。そんな中でいただいた木島平村のお話でした。
なるほど。実際に働いてみて、どうでしたか?
インターンシップで行っていた頃からそうでしたが、やっぱりとても豊かな場所だなと感じながら日々生活していましたね。すぐそこに山菜が生えていたり、人間関係も密だったり。私は奈良市のまちなか出身だったのでそういった環境はすごく新鮮で。
ただ最初の頃は、協力隊モードのONとOFFの切り替えが難しくてちょっとしんどかった時があります。「地域おこし協力隊」って「オフィシャルな移住者」なので、常に「いい子にしなきゃ」という変なバイアスがかかっていたのかもしれません(笑)。地域の小さな活動なんかも1年目は誘われたものは全部出ていたりして、仕事とプライベートの境目がわからなくなってしまったり。それで2年目はちょっと引きこもり気味になってしまったことも…(笑)。
3年目ぐらいから上手くバランスが取れるようになってきましたね。この活動は~だから出る、出ないというのが自分の中でも明確になってきて。そのうち常に協力隊モードONみたいな状態になってきて、これは性格そのものが変わったということでしょうか(笑)。
ある意味、生活がそのまま仕事になっていきそうですよね。
任期満了後も1年ほど木島平村で働いていたということでしたが、それはどんなお仕事だったんですか?
その頃DMO(Destination Management Organization/観光物件、自然、食、芸術・芸能、風習、風俗など当該地域にある観光資源に精通し、地域と協同して観光地域作りを行う法人のこと)で村を立ち上げるという話があったんです。いわゆる観光協会みたいな感じで。
それには旅行業の資格が必要だったんですが、たまたま私も趣味で旅行業の資格を持っていたのでちょうどよく(笑)、誘われてそこでの仕事を始めました。
ご縁があったんですね!
その1年ほどのあとは、どうやって珠洲にたどり着いたんですか?
あるとき急に、母校の金沢大学の先生から連絡があったんですよね。卒業後も協力隊として活動していく中で関わりがありましたし、やっぱり新卒で地域おこし協力隊として就職したのは珍しいパターンだったので、任期が終わった後どうしているのか気にかけてくれていたんだと思います。
その中で、金沢大学で募集しているポストがあるからどうか、というお話があって。木島平村は大好きだったんですが、当時少し環境を変えたい思いもあったのでそのお話を受けることにしました。
1年ほどそうして働く中で、大学の仕事もとても興味深くて楽しかったのですが、その一方で物足りなさも感じていました。学生の引率で能登のキーマンたちをめぐる機会があり、「あ、わたしこっち側じゃなくて、地域のプレイヤー側になりたいんだ」と気づいたんです。
そんな時、今の珠洲の移住フロントでの地域おこし協力隊の求人が出ることになったのを知って。もともと、珠洲もすごく好きな場所だったんです。
大学時代に聞き取り調査で行ったこともありますし、大好きな日本酒「宗玄」の蔵元があるし、木島平村や金大での仕事を通しても「大学連携を一緒に頑張っている、新しいことにどんどん取り組む面白い市」として認識していて。
だからその求人を知ったときには「あの珠洲が!」という感じでした。ちょうどスムーズにそちらに仕事を変わることができそうな時期でもあったので、無事珠洲の移住支援担当として2019年の5月からまた地域おこし協力隊として着任しました。
良い流れがあったんですね!
今の移住支援担当のお仕事はどうですか?
すごく楽しいです!人とつながっていくこと、つなげていくこと、それがちょうど良い規模でできていくので。
2020年にはコロナウイルス流行の影響で都市部からの移住希望ニーズもすごく増えたので、移住支援担当としてはやりがいがありますね。オンライン上の移住スカウトサービスに参画し始めたのもとても大きくて、それを通じて多くの移住希望者とかかわりが持てたり、オンラインでの移住相談やセミナーをやってみたり…新たな取り組みが実を結び始めているのも嬉しいです。
珠洲市長が以前話していたことで、私もすごく実感している内容があって。それが、「珠洲は自己実現と地域貢献が両立できる場所」だということ。地域の過疎化や高齢化をはじめ、課題はたくさんあるんですが「自分はこの地域のこの課題を担っている」というのがよく見える規模なのが珠洲という町なんです。だから必要とされている実感が持ちやすいですね。
馬場ちゃんが移住支援担当になってから、珠洲への移住者がすごく増えたと聞いてますよ。
どうでしょう…だといいんですが(笑)。
私の成果かどうかは置いておいて、ここ3年くらいで珠洲に移住してきた方って面白い人がすごく多いですね。
以前は「自給自足に興味のある」ナチュラル志向の高い方が多かった印象ですが、最近移住してくる人は、「地域の余白」に注目して何かできないか?と思って来てくれる20~30代の若手世代が多いです。
余談ですが同世代の移住者が意外と多いので、趣味で楽器をやっている仲間たちとカルテット(弦楽四重奏団)が組めたり、「釣り部」を結成して釣りを始めてみたり、プライベートも充実しています(笑)。あと珠洲は青年団活動が活発なんですが、私も青年団を通じて地元の同世代の仲間がたくさんできました。
珠洲がどんどん面白い場所になってきていますよね。きっと馬場ちゃん効果も大きいですよ(笑)。
ところで馬場ちゃんは奈良県出身ということでしたが、奈良に帰ろうと思ったりはしないですか?
どうでしょう。奈良が嫌いなわけではまったくないんですが、愛着がわく前に奈良を出てしまってるので…私、考えてみたら通学路しか奈良を知らないんですよね。
大学進学時に、「どうせ関西で一生を過ごすのだろうから、大学くらいは関西を出てみたい」と思って奈良を出たんです。進学先に金沢を選んだのも「旅行したときのイメージ良かったし、金沢は地域でプロオケ(オーケストラアンサンブル金沢)を持っていて、金沢大学のオーケストラに入れば一緒に演奏できるし」みたいな理由で(笑)。
大学時代に濃密な経験をした金沢や木島平、珠洲には、「今後も暮らしたい!」ってやっぱり思います。そう思うと、地域の魅力を知るタイミングって移住に際してはすごく重要ですよね。
確かにそうかもしれませんね。
地域おこし協力隊の任期は3年間ですが、今の任期が終わった後はどんな生活をしていきたいですか?
珠洲も今の移住支援の仕事も大好きなので、今のような内容に携わることができるなら珠洲に残りたいですね。
他の地域に住む人が、珠洲に移住するまでは行かなくても、珠洲のファンを増やして…地域に根差している中で、求められることをやっていけたらいいなと思っています。
こみんぐるが金沢で目指していることと通じますね。
一緒に頑張っていきましょう!
編集後記
フットワークが軽く、受容力が半端ない馬場ちゃん。こういう人が地域側にいると、外の人と地域の人が繋がっていくんだなと、感じました。
珠洲には、行政や誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分で何かやろうというベンチャー気質のある若者が多く、パワーがもらえる街です。まだまだ取材したい面白い人がたくさんいるので、随時紹介していきたいと思いますー!