京都の大手企業から、金沢の中小企業に転職し移住。 現在は株式会社白山で週5日フルで働きつつ、プロボノとして4つの団体やプロジェクトに関わっている金原竜生さんにお話を伺いました。
金原さんは、もともとはどちらのご出身でしたっけ?
出身は愛知県ですね。大学が金沢大学で、そのときに金沢に一度住んだことがありました。
大学を卒業してからは京セラに就職して、関西に住んでいました。
京セラで働いていたんですね!転職のきっかけは何だったんですか?
もともと新卒で入社したころから、「海外駐在の話が来たら転職しよう」と考えていたんです。
海外、特に発展途上国と関わる仕事がしたいという思いが大学時代から強くあり、京セラでの仕事は充実していました。最初に配属された国内営業部で結果を出すことの面白さを味わい、次に異動した海外営業部でも海外と関わる仕事ができ、それ自体は本当に楽しかったです。
そんな中、社会人5年目で思っていたより早く海外駐在の話が来まして。海外駐在となると少なくとも5年、下手したら10年は海外に行きっぱなし。また、当時自分が仕事で関わっていた海外も主にヨーロッパでした。関心のあったヨーロッパにはそれまでの仕事を通してある程度関わることができ、大学時代の経験から「アフリカなど途上国にもビジネスを通して関わっていきたい」という思いが自分の中で強まってきてもいたんです。
自分の将来像・ビジョンを考えたときに、ずっとここにいる延長線上にはないんじゃないかと感じました。
それで、石川県の明和工業に転職されたんですよね。もともと知っている会社だったんですか?
いえ、全く(笑)。偶然facebookで、明和工業がアフリカに進出する!という投稿か記事を見かけたんですよね。
自分がずっと関わりたいと思っていたアフリカ。これは!とよく見てみたらなんと金沢の企業で。
転職先を考える軸が自分の中で3つあって、それが「中小企業」「発展途上の国に関わる」「地域と関わる」でした。
自分は大学が金沢で、妻も石川県出身なので「いずれは金沢に戻れたらいいな」という思いはずっとあったんです。当時住んでいたところだと、近くには僕ら2人とも親戚や家族もいないし、子育てのことなどを考えると少し厳しいかなとも話していて。
そこに飛び込んできたのが明和工業で、気づいたら妻に「ここを受けてみようと思う」と連絡していましたね。30分後にはOKの返信が来ました(笑)。
京セラという大企業から、地方の中小企業に転職。30分でOKの決断をできる奥さんもすごいですね!(笑)
妻はすんなりとOKしてくれましたね(笑)。
意外だったのですが、一番反対したのは私の親でした。親としては、国立大学を出て京セラに就職してバリバリ働く息子…というのは自慢だったみたいで。
とは言っても自分の人生ですから、やりたいことは譲れなかったですね。
ビジョンが明確だったんですね。明和工業ではどんな風に働いていたんですか?
一番関わりたかったアフリカでの海外事業部門、ということで入社しました。それももちろんやっていたんですが、業務量がそれだけでは物足りなくて(笑)。
大学は法学部だったので、法務で困っている様子があれば手伝ったり、前職での経験があるので国内営業や広報なんかも気になって自分から関わりにいったり。あれよあれよという間に会社の中で兼業している人みたいになっていきましたね(笑)。
これは中小企業でこそできることだと思うんですが、自分が専門家でなくても多少知っているとかやったことがある仕事を、手を挙げてやってみる。大企業だとそのレベルではやらせてもらえなくても、中小企業だからこそチャレンジさせてもらえることは多いです。
もはや社内起業家ですね(笑)。働いていてどうでしたか?
もともと、いろいろやりたい人間なので楽しかったですよ。大学時代もいろいろな活動をしていたので、性なんでしょうね。
また、ジェネラリストの方が可能性が広がって面白いとも思っていますし。
大企業だと規模が大きい分どうしても分業化しているところがあって、営業なら営業しかできない。中小企業はその垣根がなく、自分次第でいろいろな仕事ができるのが魅力だと思っています。
ただ、正直なところやはり給与は京セラ時代より下がりましたね。半分とまではいきませんが…。金沢に帰ってくるタイミングで妻も仕事を辞めたので、世帯収入は半分以下になったんじゃないかな。
先に奨学金を返済しておいて良かった、という感じです。
まあ妻の家族が近くにいるので、最悪の場合も食べ物は恵んでもらえるんじゃない?みたいな感覚で、そんなに悲観はしてないんですけどね(笑)。
近くに家族がいると安心感がありますよね。
そして2021年の2月からは、株式会社白山という別の会社に転職されたんですね。
はい。明和工業では海外、特にアフリカへの事業進出というところに強く惹かれていたんですが、それを先陣を切って進めていたビジョナリーな社長が逝去し、コロナのこともあって一旦そのプロジェクトが白紙になってしまったんです。
コロナが落ち着いた後の計画としても、社内ではあまりアフリカ事業への熱量が高くない状態になっていたので、転職を考えました。
その前から参加していた半分趣味の読書会というか勉強会で知り合った中に「北陸人材ネット」という人材会社の方がいて、転職を考えていることを話したところ白山という会社を紹介されて。
その会社もまったく知らなかったんですが(笑)、光通信の関連製品で世界シェア2位という実はすごい会社でした。コロナの影響でネット環境がより不可欠になったのですごく伸びている分野ですし、海外ともつながりがあって、何より社長に思いがあってビジョンに共感したのが決め手でしたね。
まだ入社2週間ですが、すでにいろいろやっています(笑)。
さすがですね(笑)。それだけやりたいことが多いと、「自分で起業する」という発想にはならないんですか?
起業は手段の一つだと思っているんですが、今のところ起業という手段を取らなくてもやりたいことができていて、満たされているんですよね。
あと、自分はのめりこむと一人でどんどん突っ走ってしまうところがあって、リーダーには向かないと思っているんです。そんな自分の手綱を取ってくれる人が必要で(笑)。
だから「自分とビジョンが重なる人の一番のフォロワーになろう」と思っています。
フォロワーシップですね。それを持っている人は貴重かもしれません。
今は白山でフルで働きつつ、プロボノでもいろいろと関わっているとか?
はい。一般企業2つ、NPO法人2つで関わらせていただいています。NPO法人に関しては大学時代からやりたくてやっていたことの延長で、企業では新規事業営業顧問などをさせていただいています。
基準があるとしたら、自分のやりたいこととできることがマッチしているところにプロボノで入っていますね。
プロボノといえど、フルコミットです。
忙しそう!ご家族との時間は取れているんですか?
基本的に、プロボノ関係のミーティングを入れるのは午後9時~や昼12:30~にしてもらっているので、土日はゆったりしています。
比較的こういった調整がきくのも、プロボノの良いところではないかと思います。
仕事と趣味の境目がわからないくらいですよね。そんな金原さんの次なる目標はあるんでしょうか?
より意思決定に関わることをやっていきたいというのと、北陸でのプロボノ人口をもっと増やしていきたいですね。こういった働き方をする人が増えることで、どんどん地域の底上げになっていくと思うので。
今は「北陸プロパラ会」という会を立ちあげて活動しています。「プロパラ」とは、「プロボノ」と「パラレルキャリア」の略ですね。現在14名メンバーがいて、すでにプロパラをしている人とこれからやりたいと思っている人が半々くらい。興味を持って下さる方は順調に増えています。
すでに自分で場を作っているところがさすが!
ご出身の愛知、ではなく北陸にそれだけの愛着があるんでしょうか?
愛着があるのはやはり、北陸、金沢ですね。学生時代を過ごしていた街でもありますし。
愛知は何というか、ある程度の規模の都市なので黙っていても人が来るだろう、という感覚があるんですよ。トヨタという世界的企業もありますし、国も放っておかないですよね。
自分の性として、そういった課題感のない場所に面白みを感じられなくて(笑)。
それに対して、地方は何かしなければどんどん人が流出していくという課題感を持っているところが多いですよね。介在のし甲斐があるというか、あえてつまずく場所に自分を置くのが好きなんです。
確かに、そういう視点で見ると地方はこの上なく面白い場所かもしれませんね!
編集後記
とにかく、やっていることがとても多く幅広い印象の金原さん!
転職先を選ぶ軸に「中小企業」「地方」があったところが、いろいろなことをやりたい金原さんの性質をよく表していて面白いです。
自分のやりたいことが明確であれば起業という形だけにこだわらず、どんどん自分の描いたビジョンに進んでいくことができるという興味深いお話でした。